1. 雨の夜の発見
六月の終わり、東京は連日の雨に浸っていた。中央區の老舗出版社「紀文社」の編集部で、佐藤美咲は最後の校正刷りを確認した。時計は午後十時を回り、同僚たちの機はすでに空っぽだ。窓ガラスに叩かれる雨音が、部屋の靜けさを際立たせている。
明日発売の文芸雑誌「月燈」の最終チェックが終わり、美咲は整理中の古い原稿用紙の山から立ち上がろうとした時、指が一枚の黃ばんだ紙に引っかかった。それは社蔵の古書類の中に混ざっていたもので、手書きの文字が歪んでいるが、「舊書店『迷亭』」という店名が最初に目に入った。
美咲は「迷亭」を知っていた。學生時代、下北沢でよく徘徊した小さな舊書店だ。店主の岩崎老人は話し好きで、珍しい文芸雑誌を見つけてくれたこともあった。だが三年前、岩崎が急死して店は閉まったはずだ。
手稿の続きを読むと、「昭和五十八年、冬の夜。本棚の奧から赤い表紙の手帖を見つけた」と書かれていた。その手帖には、ある有名作家の未発表作品の概要が記されているという。美咲の心が速く鼓動し始めた。雨音が、まるで誰かの足音のように聞こえた。



